島本和彦主催[HOOP HYSTERIA]バスケットボールファンクラブ
吉川 哲彦の「だむだむ探検隊」

車椅子バスケの世界へようこそ!〔2007.6.1〕

昨年、日本で世界選手権が開催されたことはまだまだ記憶に新しいところです(と言ってる本人が実は忘れかけてましたが)。では、その少しだけ前にオランダでも世界選手権が行われたのはご存じですか? 世界車椅子バスケットボール選手権、通称ゴールドカップです。2002年に北九州でも開催されたことは、世界選手権のレポートでも触れたとおりです。
健常者のほうはご存じのとおり、男子は開催国ということで出場し、ブラジルで開催された女子の世界選手権には日本は出られませんでしたが、車椅子のほうでは日本は男女ともに出場しており、男子は7位、女子は6位。世界的に見れば健常よりも車椅子のほうが日本バスケのレベルは高いということになります。障害者スポーツの場合、国によって福祉の環境も違いますし取り組み方に温度差があるので当然といえば当然ではありますが、日本では国際競争力という点で車椅子のほうが優っているのは事実です。
その日本の車椅子バスケの最強チームを決めるのが、毎年ゴールデンウィークに行われる「内閣総理大臣杯日本車椅子バスケットボール選手権大会」(イスバス界では「選手権」と呼ばれています)です。僕は2002年から毎年観ていて、早くだむだむ探検隊で紹介したいと思っていたのですが、いつも5月2〜4日なのに昨年に限って4月28〜30日に変更され、bjリーグプレイオフと重なってしまって試合もほとんど観ることができませんでした。今年はいつも通りの日程に戻ったのでようやくお伝えできる、とこういうわけです。

残念ながら2日と3日は諸々の都合で観に行くことができず、4日のみの取材。さらに、当日も朝からちょっとした用事を済ませなければならず、結局東京体育館に着いたのは11時頃。準決勝は既に終わっちゃってました(泣)。この時間は、毎年車椅子バスケ体験講座がサブアリーナで開かれていて、それも少し取材して紹介するつもりでいたのですが、次の機会にお預けです。
体育館に入ると、正面に受付があり、まずはそこで取材の申請です。この辺りで「当日券売り場はどこだろう?」という様子でキョロキョロしている人を結構見かけるのですが、この大会、国内最高峰の大会にもかかわらず入場は無料。見る側としては大変結構なことですが、これだけ大きい体育館を使っているのに運営は大丈夫かいなと、ついつい余計な心配もしてしまいます(爆)。
今年からフロアへの立ち入りについて厳しくなったそうで、僕もビブスを着用してフロアに下りていきます。すると、前方からノシノシと僕のほうに歩み寄ってくる人が……その人の名は遠藤恭与さん。日本車椅子バスケットボール連盟(JWBF)の広報担当を務める女性です。 僕が初めて車椅子バスケの試合を見たのが5年前のこの「選手権」で、そこで「ボランティアスタッフの方は、大会終了後の懇親会に是非ご参加ください」という場内アナウンスを聞いて、一緒に観ていた知人と「行っときますかぁ」とスタッフじゃないのに図々しく参加させてもらい、そこで彼女と知り合ったのです。当時は彼女も僕と同じ“取材する側”の人間で、それ以前から車椅子バスケを追いかけている人。関係者からも「まめ」の愛称で親しまれている(?)存在なのです。
その「まめ」と二言三言交わして、しばらくすると携帯電話にメールが来ました。差出人はヒステリアメンバーの上岡麻梨さん。メンバーの方は会報誌等でもご存じかと思いますが、バスケ好きが高じて能代やアメリカまで行き、ついには地元・佐野にファイブスターキャンプを招致しちゃった、あの上岡さんです。そして今度はこの選手権に興味を持ってくれて、事前に連絡をいただいたので「じゃあ当日、会場に着いたら連絡ください」と言ってあったのです。
スタンド席で上岡さん・そのお友達・くーちゃんと合流。ちょうどジュニア代表とポラリスの会(元代表選手等、車椅子バスケに長く携わっている方々が中心の団体)がエキシビションマッチを行っていたので、その試合を一緒に観戦しました。ほどなくして上岡さんが「車椅子でもショットクロックは24秒なんですか?」。さっそく来ました、“車椅子バスケを初めて観た人が抱く率直な疑問”。というわけで、ここで簡単に車椅子バスケのルールや特徴をまとめてみましょう。

といっても、健常バスケとの大きな違いといえば「ダブルドリブルがない」ことくらい。5人対5人でやるのはもちろん、コートの広さもリングの高さも健常の国際ルールと同じ。3秒ルールや24秒ルールからファウルの種類まで、ルール上の違いはほとんどないに等しいのです。
ダブルドリブルはありませんが、トラベリングはちゃんとあります。ボールを膝の上などに保持した状態で3回以上車輪をこぐとトラベリング。2回こいだら必ずドリブルを突かなければならないわけです。ドリブルしながら走ることはできない(片手でこぐとまっすぐ進まない)ので、ダブルドリブルがないということですね。したがって、1回ドリブルを止めてシュートフェイクしてからまたドリブルで相手を抜き去るという、某超有名バスケ漫画の赤い髪の主人公が試合で犯したチョンボも車椅子ではOKです(実際によくあります)。
あとは、例えば座面の高さや車輪の大きさ等の規格、座面から腰を浮かせてはならない、といった車椅子を使うことで必要なルールがある程度。ただ、1つだけ覚えていただきたいのが「持ち点」ルールです。障害者といってもその障害の重さは人によってさまざま。障害の重い人しかいないチームは、障害の軽い人ばかり集めたチームには勝てません。そういったチーム間の格差をなくすために、個人個人に1.0〜4.5の持ち点(数字の小さいほうが障害が重い)をつけた上で、コート上の5人の合計が14点以内と定められているのです。

話を戻しましょう。試合はポラリスが経験の差を見せつけ、ジュニア代表を破りました。そしてしばしの空き時間に入ると、上岡さんがまた一言。「プログラムって売ってるんですかねぇ?」。そういや、僕は取材で入るので資料としてもらえますが、これって売ってるんだっけ? 無料で配布してるんじゃないかなぁ? その後の3位決定戦からはフロアで取材するということもあって、とりあえず3人で正面受付の所まで行ってみたら、売ってました、1部100円で!! 当然2人とも購入です。
そこで一旦2人とは離れて僕はフロアへ。3位決定戦の対戦カードは宮城MAXと清水MSTの対戦。前日、清水MSTが勝ち上がっているのを知って「どこ? 初出場でいきなりベスト4?!」と思ったのですが、何のことはない、去年まで明和BBCと名乗っていたチームでした。スポンサーがついて新たにチーム名をその会社名から取ったとのこと。ホストクラブを経営している会社だそうで、プログラムの広告欄にもそれらしき写真が掲載されています。まさか選手がそこで働いてる……わけないか。
そんな話はさておき、試合前のアップを大会本部近くで見ていたら、また知ってる顔をみつけました。ここ数年、ボランティアスタッフとして必ず参加している室田直志さんです。2004年の仙台ABC、世にいう「仙台の奇跡」を一緒に目撃し、それ以降代々木第二体育館に行けば大体会うというバスケバカ仲間であり、関係ありませんが小学校の7年先輩でもあります。さらに関係ありませんが、僕の父が非常勤講師として働いていた某高校での教え子でもあることが大会終了後に判明しました。何だか切っても切れない運命を感じます(爆)。
代々木が長期改修工事中だったこともあり、室田さんとは久しぶりにお会いしました。会うといつもその日の試合のことやその時のバスケ界の話題について話をするのですが、この日も「今年はアパッチの試合もあまり行けなくてね〜」とか「オーエスジーがbjに行ったら新リーグはまた危ないですよねぇ」なんて具合にバスケ話に花を咲かせながら、しばらく一緒に試合を見ました。あ、ちなみに勝ったのはMAXです。

さて、いよいよ決勝戦。この試合くらいはちゃんとレポートしときましょう(汗)。史上初となる2度目の3連覇がかかった名門・千葉ホークスと、初の決勝進出となったNO EXCUSEの顔合わせ。今大会の戦いぶりも対照的で、ホークスが3試合とも30点差以上で順当に勝ち上がってきた一方、NO EXは1回戦から2点差という厳しい立ち上がり。しかし2回戦で代表のエースセンター大島朋彦を怪我で欠いたワールドBBCを破って勢いに乗り、準決勝では強豪MAXを2点差でかわして見事ホークスへの挑戦権を得ました。スポーツドクター辻秀一先生主宰のエミネクロスが抱えるチームで、年々強くなってきてはいましたが、ついに頂点を狙える位置まで来ましたね。
1Q、ホークスは18歳にして代表の主力となっている香西宏昭がアウトサイドから積極的に打ち、対するNO EXはこちらも代表選手の菅澤隆雄を中心に果敢にインサイドへ飛び込み、両者互角の戦い。ホークスがなかなか5点差以上リードできず、その間にNO EXが追い上げては香西のミドルで突き放すという展開で進み、前半は28−28のイーブンで終えます。ここまで両チームともディフェンスが良いですね。NO EXにとって気になるのは、菅澤と並ぶ得点源・小山文律のファウルトラブルです。
後半に入ると、試合の流れが一変します。立ち上がりNO EXが速い展開を見せると、すかさずホークスはオールコートディフェンスを敷いてきました。これでNO EXの得点が止まる間に、ホークスは代表G京谷和幸を起点にハイポストシュートを多用し、一気に14点差をつけました。4Qになると焦りからかNO EXは攻め急ぎ、遠めの位置から早打ちになってしまいます。菅澤も疲れで動きが鈍り、逆にホークスは最後まで走力が落ちませんでした。68−48。ホークスが史上初となる、2度目の3連覇達成です。
試合後の表彰では、決勝で32得点の香西が当然のようにMVP(2年連続2度目)、ベスト5には前述の京谷と小山の他、森紀之、安直樹(以上ホークス)、寺田正晴(NO EX)が選ばれました。安選手といえば以前ここでもお伝えしたとおり、Legendや早稲田祭シンポジウムにも登場した人ですね。残念ながら今年は代表から漏れてしまいましたが、その実力は相変わらずといった感じです。それから、ご存じの方もいるかと思いますが、京谷選手はかつてジェフ市原でプレイした元Jリーガー。今はまるでプロレスラーのような上半身をしています。

大会終了後、上岡さん・くーちゃんと一緒に体育館を後にして、食事に行きました。しばらくして遠藤さんと室田さん、そしてアテネパラリンピック女子代表でマネージャーを務めた柴田あゆみさんも来てくれました。そこでの話題は当然ながら車椅子バスケ。特にくーちゃんは、隣のテーブルでイカスミスパゲティを食べている女性の口元が気になりながらも(爆)、「面白かった!!」と言ってくれました。帰りのバスの中でも興奮冷めやらぬ状態だったようです。
文章でしかお伝えできないのがもどかしいのですが、車椅子バスケは障害者がやっているとは思えないほど迫力もあるし、一度観たらまた観たくなるはず。僕などは、あんまり健常のほうばかり見ていると「イ、イスバスが観たい」と禁断症状が出てくるくらい(←本当です)。上岡さんとくーちゃんもまた観に行ってくれると思うし、是非皆さんにも観ていただきたいと思います。

〔ついでに告知のコーナー〕
近々、車椅子バスケ絡みで僕個人から皆さんにお伝えしたいことがありまして、島本さんのご好意によりヒステリアのHPで発表させていただきます。しばしお待ちください。



吉川哲彦(よしかわあきひこ)

1974年生まれ、東京都出身。公称181cm、69kg。背番号49。
小学校の体育の授業でそれなりに上手いと勘違いして、中学入学と同時にバスケ部へ。現実を思い知り、1年後に転校した先ではバスケ部に入らなかったが、その後5年ものブランクを作ったことを今も後悔している。
半年後に大学受験を控えた1992年、バルセロナ五輪のドリームチームを見て「俺もダンクしたい」とまた勘違いし、大学でバスケ部(体育会系)に入部。3年時には主にベンチから戦況を見つめるという役割で、関西リーグ4部準優勝&3部昇格に貢献。
26歳の時、周囲の勧めがきっかけでフリーのスポーツライターに。新潟アルビレックスを皮切りに、取材対象はほとんどバスケ。老若男女問わず、バスケとつくものにはとりあえず食いついてみるというスタンスで、公私ともにバスケ三昧の日々。
2005年、初の著作「オールドルーキー」(共著・阿部理)がHOOP HYSTERIAより刊行される。

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