島本和彦主催[HOOP HYSTERIA]バスケットボールファンクラブ
吉川 哲彦の「だむだむ探検隊」

bjリーグプレイオフ・最高の熱狂〔2006.5.22〕

前回の更新からずいぶん時間が経ってしまいました。申し訳ありません。今更ながら、bjリーグ1stシーズン・プレイオフの模様をお届けしたいと思います。
まず29日のセミファイナルから。試合内容は2試合とも素晴らしいゲームでした。大阪vs仙台は、アップセットを狙ったレギュラーシーズン4位の仙台が第3Qまで10点ビハインドとなんとか食らいつき、第4Qはアンドレ・ラリーの20得点等で怒涛の追い上げ! 残り9秒で上山博之の3ポイントが決まっていれば同点という、仙台にとっては実に惜しいゲームでした。
浜口炎ヘッドコーチは「最後は『ファウルゲームに行くならニュートンか波多野か城宝』とは指示したが、選手の判断に任せた」と語っていましたが、選手としてはこういう時は明確な指示が欲しいもの。案の定選手達は思い切ってファウルに行けず、行った時にはことごとく一番フリースローの上手いデイビッド・パルマー選手にボールが渡っていました。「パルマーにボールを持たせろ」としっかり指示していた天日謙作ヘッドコーチとの経験の差が出てしまった格好です。
しかし、「負けたのは僕の責任。選手達や、たくさん来てくれたブースターの皆さんに申し訳ない」とも語った浜口氏。良い経験を積み、これからに期待が持てます。
2試合目もレギュラーシーズン3位の東京が粘りました。とはいえ、前半で30-30というロースコアの展開は新潟ペース。東京らしからぬタフなディフェンスの結果とも言えますが、そのせいで後半は足が止まり、その間に体力には自信のある新潟が走り、また、12の10という驚異的な3ポイントで突き放して順当に勝利しました。
新潟にとってはラッキーな要素もいくつかありました。東京のスコアラー2人の得点が伸びなかったことや、「ミステリアス」(by廣瀬昌也ヘッドコーチ)な相手の選手起用です。特に、新潟というチームを知り尽くしている青木勇人のプレイタイムがわずか12分、シーズン後半スターターで使われていた勝又英樹に至ってはたったの3分。しかも、その短い時間で4得点をあげたにもかかわらず、あっさりと下げてしまいました。廣瀬氏でなくとも疑問に思うところです。

そして30日。3位決定戦で、再びジョー・ブライアントヘッドコーチのミステリアス采配が飛び出しました。チームで2番目にプレイタイムが少なかった信平和也をいきなりスターターに起用。さらに、日頃から「リーグで一番日本人を育てている」と誇らしげに話していたコーチが、この日に限って外国人3人をフル稼働。本人曰く「今日だけは勝ちにいった」ということですが、じゃあ前日の試合は勝ちにいかなくてよかったのか? ……やはり謎です。
それでも、この日は頼みのハンフリーが34得点と爆発し、勝ってしまうあたりが東京らしいと言うべきでしょうか。一方の仙台は、前半13点リードしながら逆転負け。とことん悔やまれるプレイオフになってしまいました。
残るは決勝戦。シーズンを通して外国人への依存度が高かった大阪ですが、シーズン後半に精彩を欠いていた波多野和也がこの日はオフェンスリバウンドに奮闘、ワイチを中心に猛烈に追い上げた新潟から流れを奪い返します。結果的に大阪の日本人の得点はこの日も一ケタ(波多野の6点のみ)でしたが、ここぞという時にリバウンドという外国人の得意分野で日本人が活躍し、チームを救ったわけです。廣瀬ヘッドコーチが警戒していたパルマーも得点を重ねる一方、新潟は前日絶好調だった3ポイントが33の8。最終スコアは74-64、大阪が初代王者の座につきました。
天日ヘッドコーチは常々「外国人に勝てなければ日本人のレベルは上がらない」と言っていました。つまり、外国人を上回るパフォーマンスを示せば試合に使うというわけです。それを今回、波多野選手は証明したのです。あとはそれを短期間限定ではなく継続できるかどうか。特に波多野選手の場合はそこが一番の課題なのですが(笑)。
ともかく、大阪の優勝はサラリーキャップ制などで戦力均衡を図っているbjとしては意味のあることかもしれません。なんせ、スーパーリーグ経験者を7人残した新潟を、選手を揃えてからまだ1年も経たない新規チームが破ったのですから。

プレイオフ全体を振り返ってみましょう。まず客入りですが、29日は約5400人、30日は約7600人。僕が知る限りでは、この数字は国内のバスケットの試合(NBAジャパンゲームを除く)では歴代2位と3位にあたる観客動員です。ちなみに1位は、田臥勇太がいた頃のウィンターカップ(約1万人)です。98年だったかな?
一発勝負のトーナメント、それも東京のホームコートである有明コロシアムでの開催という点は、発表された時点から論議の的でした。個人的な意見を言わせてもらうと、理想としてはやはりレギュラーシーズンの順位にしたがってホームコートアドバンテージがあり、勝ち上がるのに少なくとも3勝が必要という方式がベストだと思います。しかし、体育館のキャンセル等の問題で、これは実現するのに時間がかかりそう。今の段階では現行方式でもやむを得ないでしょう。
これに関して、28日の記者会見の時に河内敏光コミッショナーはこう言っていました。
「NCAAのファイナル4やユーロリーグのプレイオフは、一箇所に集めて爆発的に盛り上がる。同じように盛り上がるかどうか、やってみるのも面白いんじゃないかと思った。もちろん来年以降についてはより良い方法があるかどうかをまた考えていきます」
実際、この試みは成功でした。各チームのブースターが大挙押し寄せて熱烈に応援するというのは、なかなか見られるものではありません。これは意外な収穫というか、思わぬ成果でしたね。
各チームごとにブースターが大量にいるわけですから当然応援合戦となるのですが、社員を動員してシンセサイザーで大音量を垂れ流すJBLやWJBLとはもちろん違います。応援の基本は声だということをちゃんと心得ているのです。大阪ブースターが新潟にエールを送り、新潟ブースターがエールを返すという一幕もありました。新潟からバス5台、仙台から3台、大阪のブースターもかなりの数がゴール裏を占拠した中で、物凄い迫力だったのはやはり新潟。これはもうさすがとしか言いようがありません。
また、一箇所で一発勝負という方式のおかげで、29日の夜には新潟・仙台・大阪のブースターが一堂に会して交流を持とうという会も開かれました。参加者は小学生から50歳代まで総勢53人!! 島本さんと僕も参加しましたが、興味深かったのは島本さんを知らない人がいたこと。中には「月刊バスケットの元編集長ですよ」と教えても「そういう雑誌があるんですか」と言う人も。彼らは、地元にチームができて初めてバスケに興味を持ち、東京に遠征してくるまでになったのです。「bjは確実に底辺を広げてくれてるんだなぁ」と感じた次第です。
話を戻します。会場が有明というのも良かったのだと思います。なんとか6チームのホームゲームを全て見ることができましたが、有明はダントツにホーム色が薄い場所。プレイオフでも、ブースターの数は地元のはずの東京が一番少なかったくらいです。これが新潟の朱鷺メッセだったら、スタンドの90%以上はオレンジ色で染まったでしょう。
MCも含めて演出を上位チームに任せるなど、多少のアドバンテージがあったほうが良かったかもしれません。それでも、吊り下げ式スコアボードの上に大画面モニターをつけたり、プレイオフ用にチームごとにTシャツを販売したり、国家斉唱にアルフィーの高見沢俊彦を招いたり、というようにいろんな面でリーグの努力がうかがえて、イベントとして上質だったことは断言します。

課題はまだまだ少なくないbjリーグ。しかし、今後の発展を期待できるだけの成果が十分にあったということも間違いありません。
1年間の余韻に浸る間もなく、bjは既に2ndシーズンに向けて走り始めています。「シーズンが終わったら、何をすればいいんだろう」というブースターもいるようですが、オフシーズンに入ったからといって楽しみがなくなることはありません。ということで次回、トライアウトやドラフトの模様をお伝えします。



吉川哲彦(よしかわあきひこ)

1974年生まれ、東京都出身。
中学1年時はバスケ部に在籍したが、転校した先ではバスケ部に入らず。その後、バルセロナ五輪のドリームチームに触発されて大学でバスケ部(体育会系)に入部。3年時の関西リーグ4部準優勝&3部昇格が唯一の自慢というベンチウォーマー。
26歳の時、周囲の勧めもありフリーのスポーツライターに。一番最初の取材対象に新潟アルビレックスを選び、それ以来取材対象はほとんどがバスケ。カテゴリーを選ばず、ありとあらゆる現場に足を運ぶ日々。
「自分の文章が日本のバスケ界を変える一助になれば……」と秘かな野望を抱いている。
2005年、初の著作「オールドルーキー」(共著・阿部理)がHOOP HYSTERIAより刊行される。

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